仕事で自己実現ってホントにOK?――社会学者、鈴木謙介氏インタビュー(中編) (1/6)この記事にでてくる
http://bizmakoto.jp/makoto/articles/1004/30/news003.html
「自分がやりたいことをやっているんだから、多少苦しくても自分が選んだ道じゃないか」とか、あるいは「自分たちが置かれている状況は、こういう仕事を選ぶ以上、自分の好きなことをやっている以上、しょうがないんだ」という形で、本来ならばあまり推奨されないような仕事の環境が正当化されてしまう。は,よくいう話なので新鮮味はなかったのだけども,それが危険な理由になる背景として,
記事のより引用
戦後一貫して少しずつ家族の多様化が進み、そして家族の絆が薄くなっているといわれている中で、職場環境の方がむしろ「疑似家族」になっていると指摘したうえで,
記事のより引用
高度成長期に都会に出てきて核家族を形成した人たちにとって、「マイホーム」が失われた家郷の代わり、地元になってしまったんですね。だからこそ、安定した仕事で得た給与は家に入れ、そのカネで家庭の中にたくさんの耐久消費財を入れていくことが、「豊かさ」の内実だったという流れは,それなりに納得できる気がする.
記事のより引用
「仕事で自己実現」がなぜ危険なのだろうか.興味のあるテーマだったので,以前より私なりに理由を探していた.確かに,前述のように「自分がやりたいことをやっているんだから・・・」ということで様々な負担を強いられた結果,頑張りすぎてしまうということもあるだろう.しかしながら,それは理由として不十分ではないかと思っていた.そんな折,この記事を読んで少しヒントを得た気がしたのだ.
鈴木謙介氏の言おうとしていることとは異なるかもしれないが,私なりに思ったことは「いつの間にか,私たちは“仕事”にいろいろなことを求めるようになっていた」ということである.このことは,本記事の
家族の内閉化と並んで、“家族の理想化”ということだと思っています。つまり、今、人々が家族という言葉で連想するのは、家族の“ような”関係のことであって、現実に血のつながっている人たちのつながりではないという内容にも通じる.つまり,心のよりどころが「地域(生まれ育った故郷)」から「家庭」へ変化し,昨今は「仕事」になってしまっているのではないか?ということである.「心のよりどころが仕事なんてバカバカしい」という声が聞こえてきそうだが,まったくそのとおりである.しかし,「仕事で自己実現」という前提の中で「心のよりどころが仕事」というのは矛盾していないと思う.
心のよりどころを“仕事”にしてしまったとしたら,本来あるべき“心のよりどころ”は無いに等しくなるだろう.「仕事で自己実現」が危険というのは,この点にあるのではないかという気がしてきたのである.言い換えれば,本来のあるべき「家庭」や「地域」に心のよりどころがあるのであれば,「仕事で自己実現」は理想的な働き方になるのかもしれない.

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