本ブログの更新について
本ブログの更新は2016年3月31日をもって終了しました.ありがとうございました.
posted by みっちぃ (管理人)
2016年03月13日
理想の研究者像
自分の理想とする研究者像に近い研究者が何名かいる.いずれも直接的に面識がある研究者ではないが同じ分野にいる研究者なので目標とすべき人たちでもある.
一昨日,とある学会でそのうちの1人がディレクションを行っているセッションに聴講参加した.その人は自分と1歳違いで,現在は准教授であり,同大内の研究所の所長も務めている.経歴を拝見する限りでは,Aクラス大学で学部から博士の学位取得までストレートで在学し,その後はその母校の教員として教鞭をとり,さらに他大学での非常勤講師や,様々な学会での幹事,標準化組織のメンバーなどとしてご活躍のようである.研究業績も素晴らしく,同氏のサイトを見ると,ご自身の筆頭でも数々の受賞があり,近年は指導している学生が筆頭と思われる業績が並んでいることを確認できる.まさに第一線の研究者と言えるだろう.セッションでは流暢に英語でスピーチをして場を見事にまとめ,盛り上げていた.
対して自分はというと,〇〇クラスとランクできるようなレベルの大学には入れず,学部卒業後は数年間ソフトウェア開発の現場で働いていた.その後大学院に進学した時は別の大学へは行かず,学部時代の恩師の言葉を信じて母校に戻った.前期後期の博士課程修了後は7年近く母校の教職員として働いていたものの,システム開発の仕事をやっていたので研究者らしい活動ははなかった.1年前に異動となりようやく研究者らしい環境で仕事ができるようになってきたのだが,役職は講師のままだし,研究の成果はこれからという状況である.
よく知られるように,理工離れ,2018年問題が深刻化している.東京から100キロ圏にある我がキャンパスでも入学者の減少対策が喫緊の課題であり,そのための対策が教員にも求められている.新たなコースの立ち上げ,それに伴うシラバスの改変,新たな教材の作成,それらに関わる打ち合わせの参加(この打ち合わせのやり方が非効率過ぎて腹立たしいのだが)など,研究以外の仕事は多岐にわたる.他大学から移ってきたある教員に言わせれば,一週間当たりの教務の量も研究以外の雑務も,他大学に比べると多めであるという.
入学者の減少は学生の能力の低下にもなり,その対応も欠かせない.授業後に学生をサポートするための時間をわざわざ作り対応にあたっている授業もある.成績不振の学生と直接面談したり,ご両親に直接お話を伺ったりするなどの対応を行うこともある.さらに悩ましいのは研究活動の充実が難しいことである.卒業研究で配属となる学生は2,3名程度であり,大学院への進学する確率はほぼ0である.よって研究室に内には卒研生の2,3名しかおらず,この状況ではゼミをやっても深い議論にならない.卒業研究の1年間では大きな研究ができるわけもなく,良い研究でも次年度以降に続いていかない.学会発表できるような成果も生まれにくい.
おそらく前述の研究者の環境では,数名の大学院生と多数の卒業研究生を従え,活発な議論が交わされた中で研究成果が生み出されていることだろう.中には能力の低い学生もいるのかもしれないが,それは研究室のメンバの中で互いに教えあって補っているだろうから,教員が基礎的な内容を直接教えるようなことは皆無に近いはずだ.いや,むしろ実業務にあたっている学生から逆に教わることも多いぐらいではないかと想像する.なんと羨ましい環境だろうか.
私の今の環境とはまさに雲泥の差と言ってよいだろう.今後5年間の将来を考えた時,この状況が改善するだろうか.2018年問題が本格化するのはこれからだし,東京西部の地域でさえ高齢化が進み,今や都心回帰の傾向が益々加速化している状況である.もはや悲観的に考えるべきであろう.
今後,自分が理想とする研究者像に近づくためにはどうしたら良いのだろうか.もっとも可能性がある道は目覚ましい成果を上げて他学に移ることだろうか.しかし,その為の研究成果を上げられるような環境にないことは前述の通りだ.自分が入学生の増加対策や学生の学力の向上に翻弄されている間に,一流の学生を集め,一流の研究を当たり前のように進めている研究者がいるわけである.研究成果の差が指数関数的に開いていくのは火を見るよりも明らかである.
せめてもっと早いうちに今の環境に異動出来れば状況が違ったかもしれない.異動前の7年間が非常に悔やまれる.学位取得後直後から今の環境に配属されていれば学生の数も比較的多かったし,まだ若手として身動きがしやすかったと思う.そもそも,大学院,いや,大学への進学の時点で選択を誤っていたのだろう.一流の研究を行える研究者になるためには,やはり一流の大学に入るべきなのだ.そうしなければ一流の仲間にも恵まれないし,一流の研究環境に身を置くことはできないのである.
もはや絶望というべきだろう.この絶望を感じながら今後も仕事を進めていくことになると思うと,すべてを投げ出したい気持ちになってくるのである.
一昨日,とある学会でそのうちの1人がディレクションを行っているセッションに聴講参加した.その人は自分と1歳違いで,現在は准教授であり,同大内の研究所の所長も務めている.経歴を拝見する限りでは,Aクラス大学で学部から博士の学位取得までストレートで在学し,その後はその母校の教員として教鞭をとり,さらに他大学での非常勤講師や,様々な学会での幹事,標準化組織のメンバーなどとしてご活躍のようである.研究業績も素晴らしく,同氏のサイトを見ると,ご自身の筆頭でも数々の受賞があり,近年は指導している学生が筆頭と思われる業績が並んでいることを確認できる.まさに第一線の研究者と言えるだろう.セッションでは流暢に英語でスピーチをして場を見事にまとめ,盛り上げていた.
対して自分はというと,〇〇クラスとランクできるようなレベルの大学には入れず,学部卒業後は数年間ソフトウェア開発の現場で働いていた.その後大学院に進学した時は別の大学へは行かず,学部時代の恩師の言葉を信じて母校に戻った.前期後期の博士課程修了後は7年近く母校の教職員として働いていたものの,システム開発の仕事をやっていたので研究者らしい活動ははなかった.1年前に異動となりようやく研究者らしい環境で仕事ができるようになってきたのだが,役職は講師のままだし,研究の成果はこれからという状況である.
よく知られるように,理工離れ,2018年問題が深刻化している.東京から100キロ圏にある我がキャンパスでも入学者の減少対策が喫緊の課題であり,そのための対策が教員にも求められている.新たなコースの立ち上げ,それに伴うシラバスの改変,新たな教材の作成,それらに関わる打ち合わせの参加(この打ち合わせのやり方が非効率過ぎて腹立たしいのだが)など,研究以外の仕事は多岐にわたる.他大学から移ってきたある教員に言わせれば,一週間当たりの教務の量も研究以外の雑務も,他大学に比べると多めであるという.
入学者の減少は学生の能力の低下にもなり,その対応も欠かせない.授業後に学生をサポートするための時間をわざわざ作り対応にあたっている授業もある.成績不振の学生と直接面談したり,ご両親に直接お話を伺ったりするなどの対応を行うこともある.さらに悩ましいのは研究活動の充実が難しいことである.卒業研究で配属となる学生は2,3名程度であり,大学院への進学する確率はほぼ0である.よって研究室に内には卒研生の2,3名しかおらず,この状況ではゼミをやっても深い議論にならない.卒業研究の1年間では大きな研究ができるわけもなく,良い研究でも次年度以降に続いていかない.学会発表できるような成果も生まれにくい.
おそらく前述の研究者の環境では,数名の大学院生と多数の卒業研究生を従え,活発な議論が交わされた中で研究成果が生み出されていることだろう.中には能力の低い学生もいるのかもしれないが,それは研究室のメンバの中で互いに教えあって補っているだろうから,教員が基礎的な内容を直接教えるようなことは皆無に近いはずだ.いや,むしろ実業務にあたっている学生から逆に教わることも多いぐらいではないかと想像する.なんと羨ましい環境だろうか.
私の今の環境とはまさに雲泥の差と言ってよいだろう.今後5年間の将来を考えた時,この状況が改善するだろうか.2018年問題が本格化するのはこれからだし,東京西部の地域でさえ高齢化が進み,今や都心回帰の傾向が益々加速化している状況である.もはや悲観的に考えるべきであろう.
今後,自分が理想とする研究者像に近づくためにはどうしたら良いのだろうか.もっとも可能性がある道は目覚ましい成果を上げて他学に移ることだろうか.しかし,その為の研究成果を上げられるような環境にないことは前述の通りだ.自分が入学生の増加対策や学生の学力の向上に翻弄されている間に,一流の学生を集め,一流の研究を当たり前のように進めている研究者がいるわけである.研究成果の差が指数関数的に開いていくのは火を見るよりも明らかである.
せめてもっと早いうちに今の環境に異動出来れば状況が違ったかもしれない.異動前の7年間が非常に悔やまれる.学位取得後直後から今の環境に配属されていれば学生の数も比較的多かったし,まだ若手として身動きがしやすかったと思う.そもそも,大学院,いや,大学への進学の時点で選択を誤っていたのだろう.一流の研究を行える研究者になるためには,やはり一流の大学に入るべきなのだ.そうしなければ一流の仲間にも恵まれないし,一流の研究環境に身を置くことはできないのである.
もはや絶望というべきだろう.この絶望を感じながら今後も仕事を進めていくことになると思うと,すべてを投げ出したい気持ちになってくるのである.