本ブログの更新について

 本ブログの更新は2016年3月31日をもって終了しました.ありがとうございました.
posted by みっちぃ (管理人)

2016年03月31日

ブログ更新終了のおしらせ

 本ブログへアクセスしてくださりありがとうございます.2016年3月31日をもって,ブログ“おきらくプログラマー”の更新を終了することにしました.何かの機会に復活させることはあるかもしれませんが,継続的なアクセスのある Jpeg GPX Merger 関連を除いて今後の更新は予定しておりません.
 「おきらくプログラマー」は,引っ越し前のYahoo!ブログのときを始めとすると10年目になります.おきらくプログラマーの“おきらく”は何事もネガティブに考えがちな自分自身に言い聞かせる言葉だったのだと考えています.毎日のようにブログを更新しなければという義務感もある一方で,それはやっぱりしんどいな,という感情もあったように思います.焦らず,コツコツと,着実に続けていくためにも“おきらく”が大切だったように思います.
 ちなみに,「ネガティブな性格」は悪いイメージに捉えられますが,エンジニアとしては決して悪いことではないと思っています.堅牢なシステムを構築するために,エンジニアは楽観的では絶対ダメだと思うのです.考えられるエラーケースをセオリー通りの手法で抽出するのはもちろんのこと,「エラー時にどんな悪影響がでるか」を考えてリスクを分析し,現実的な範囲で対応方法を導くことが重要だと思います.“まぁ何とかなる”では被害が大きくなるだけです.
 10年前,当時の自分は博士後期課程の2年生(D2)でした.あと2年で学位取得できるかどうかの非常に重要な時期でした.学位を取得するには,投稿した論文が論文誌に採録されたり,国際会議などで発表したりするなど研究成果としての実績が条件となります.論文は投稿してから採録が決定するまで半年から1年以上かかります.学位認定の条件を満たすためには,在学中に何本かの論文を書き,それらが採録される必要があるわけです.論文を書くためには,書くための材料,すなわち研究成果が得られていなければなりません.つまりD2のときというのは,すでに研究が進み,その結果を論文としてまとめている段階であるわけです.
 しかしながら,当時の私は,博士後期課程になってから研究テーマを変更したこともあり成果が得られていませんでした.博士前期課程(修士)時代に当時の恩師からの指示で行っていた研究は中止する決断をしていたのです.もともと,私自身も修士時代の研究には疑問がありました.研究の目的,方法論,その結果の検証方法など,すべてが了解性に欠けるものでした.修士課程の修了と共にその恩師が退官となり,以後,別の教員のもとで学位取得を目指すことになったのですが,1年目(D1)のときに修士時代の研究成果をその専門分野のシンポジウムで発表した際,根本的な否定を受けたのです.別の研究会で発表した時もそうでした.あの時は懇親会にも参加させていただいたおかげで,恥ずかしい思いもしましたが忌憚ない貴重なご意見を頂戴しました.ほかの大学の先生方から研究のやり方を改めて教えていただいたのです.このような経緯から,テーマを変更してまさに研究をイチから始めるようになったのです.
 D2にとき,私にはもう一つ悩ましいことがありました.学位取得後に新人として就職するならば,半年後から始まる就職活動を視野に入れていかなければなりません.博士後期課程に在籍する学生であれば,就職活動において当然として研究内容の説明を求められるでしょう.しかし,前述のように私はテーマを変更してイチから研究を始めたような状況ですから説明できるような成果はありませんでした.“卒業見込み”の調査書を出してもらうための条件を満たす成果も当然なかったわけです.そのため,就職を始められない状況でした.
 10年前というのはそのような焦りと不安の毎日を過ごしていた時期でした.仮にそのまま成果が出ず,D3で卒業とならなかった場合,費用的な問題から道半ばで退学せざるを得ない状況でしたので,当時の焦りはそれなりのものだったと思います.“おきらく”はまさに当時の自分が求めていた状態だったのでしょう.
 その後,私は無事に学位を取ることができました.さらに幸か不幸か,教職員として母校に残ることができました.オーバードクター問題がある中,助教として母校に採用いただけたのは大変幸福なことだったのだと思います.
 助教の肩書でしたが,実際には大学内のある組織でシステム開発を行うという仕事でした.(週一度だけ,自分を育ててきてくれた学部で教務を行っていました.)その組織でのシステム開発の仕事は,私としてはそれなりの成果を残してきたと思っています.もちろん,もっと貢献できることはあったかもしれませんが,インフラ設計から実業務で使うアプリ開発までやりつつ,数十のサーバの管理・運用を1人やり,さらには研究を進め,もちろん学会発表や論文執筆も継続的にやってきました.このような活動ができる研究者は,そんなに多くないのではと自負しています.ただ,システム開発だけをやり,その職場の学術分野の研究には一切関わらないようにするなど,どこか一線を敷くべきだったのかもしれません.結局,システム開発の山場を越えた後も,その組織に5年近くもの間在籍していました.最後には上司との間に溝ができて強烈なパワハラに耐えながらの1年半となり,異動してからさらに1年半たった今でもその憤りが収まりません.
 その後,現職場に移り,文字通り研究者としての仕事がスタートしたわけですが,時代はだいぶ変わってしまいました.大学院時代にやっていた研究をやるにも,もはや過去のものです.工学の研究では新規性は何より大事と言えます.また,イチからやり直しです.それに,大学を取り巻く環境も大きく変わってきました.研究どころでないぐらいに厳しくなりつつあるというのは以前記事にも書いたとおりです.なかなか思う様にはいかないものです.
 10年で,自身が追い求めるものもだいぶ変わってきました.10年前はとにかく学位をとることに一生懸命で,自分の理想とか将来像といったものはあっても二の次になっていました.それでも,そう遠くない将来には,結婚して,子どもを授かって,マイホームを購入して・・・,などというごく一般的な人生は頭にあったと思います.そのうえで,都区内に生活の拠点を置きつつ,趣味と仕事を両立できる生活を夢見ていたものです.
 しかしながら,やはり現実は容易ではありませんでした.奨学金の返済をしつつ,家庭を持ったり,居を構えたりというのは困難でした.もちろん,よほど理解のある相手に巡り合えれば可能性はあったかもしれません.しかし,学位を取得した直後は無一文でした.それどころか,住宅ローンなどの有形のものを購入した負債ならともかく,奨学金という無形のものに対する多額の負債を抱えているわけです.そんな男に惹かれる女性がいるでしょうか.私が女性だったとしても付き合いたいと思いません.
 都心から離れた地へ異動してからは減給の影響もあり経済的な厳しさは増していて,もはや右にも左にも動けない状況になりつつあります.そんな状況下では,今の自分の希望は,このまま安定して奨学金を返していくことぐらいしかありません.返済が終わるのは53歳になる15年後です.リスクを最小限にしながら無難に仕事をこなし,コツコツと返済を続けていくことです.何の刺激もない,つまらない日々が続くことでしょう.
 奨学金の話題が出ると,そこまでして借金を作ったヤツがバカだ,ということをいう人を見かけます.こういう考え方が蔓延するとしたら,それは私は間違っていると思います.奨学金を借りてまで大学へ行く意味,大学院へ行く意味は人それぞれと思います.しかし,借りても返せないからという理由で進学せずに働く道を選択させるというのは,社会の経済的な成長を妨げる要因にならないでしょうか.確かに,個人のレベルで見れば,大学などに行かずに普通に働いていれば,生活できるだけの収入は継続的に得られるかもしれません.しかし,学歴別の所得水準の違いは統計的にも明らかですし,GDPへの寄与を考えたとき,例えば低学歴ほど失業率が高かったりするなどの調査結果も出ています.個々が自らの能力の継続的な研鑽に努めることは,個人だけではなく世界的な経済成長に欠かせないことではないでしょうか.その芽を摘んでしまうようなあってはならないと思います.
 先日,ようやく政府が給付型奨学金の創設を表明しました.心配なのは,給付条件が厳しくなってしまい,進学したいと思う人が進学しにくい状況が助長されてしまうことです.子供は親を選べません.親の所得水準が子供の学力に影響するという結果も報告されています.学力の低下は,その子供が大人になったときの所得の低下にもなり得ます.そしてその子供も学力が低く・・・,というような負の連鎖を断ち切らなければなりません.
 理想的にはスエーデンなどのように授業料を無料にすることなのでしょう.しかし,今の日本の社会構造をふまえると,その様な制度に移行することは困難だと思います.そうであれば,今できることから手を付けるべきではないでしょうか.そのうちの1つとして本ブログでは奨学金返還時における控除制度の創設を提案しています.調べると,平成19年度の税制改正で同様の要望事項が文科省から提出されていますが却下されたようです.この時は,10年間という期限付きで,利子相当分のみを所得税の税額から控除対象にするという“緩い”ものでしたが,認められなかった模様です.住宅ローンには特別控除があるのに,奨学金はなぜ認められないのか不思議で仕方ありません.利子相当分といわず年末残高を基準に控除額を決定するなど,多少なりとも控除されることによって生活が楽になるケースもあります.創設を再度検討してもらいたいものです.
 10年の機に,本ブログのこれまでのアクセス状況を振り返ってみました.下の図は,Google Analytics によるアクセス状況を記録し始めてから一昨日までのページビューの変化です.



開始当初から,1日当たりの平均PVは200前後しかありませんでした.その後,2013年半ばあたりから極端に減っている様に思います.確かに私の記事の投稿数も減っていましたが,クローラのアルゴリズムの変更も影響しているかもしれません.気合いを入れてノウハウ系の記事を書いてもPVは伸びにくい状況でした.検索結果でも上位になりにくかったので抜本的なSEO対策が必要になっていました.
 ブログを開設した当時は,日本国内ではまだiPhoneは登場しておらず,ガラケー関連の記事のアクセス数が比較的多い状況でした.デジカメも性能の向上が目覚ましいころで,コンデジで1000万画素機がようやく登場したころだったのではないでしょうか.撮影サンプルの記事へのアクセス数が比較的多かったのを覚えています.
 アクセス数が意外に伸びにくかったのはITのエンジニア向け記事.確かに,日本国内のIT技術者の総数を母数としたときに,入門向けではない特定技術の記事を必要とするエンジニアの数はそれほど多くありません.それでも,文字化けの解決策など直面しがちな内容はロングテールの記事となっていました.
 ニーズが多そうな,桜や紅葉の見ごろ情報なども掲載しましたが,こちらもPVは伸びにくい状況でした.検索結果をみると,上位には大手SNS系の記事が多かったように感じています.SNSの利用が当たり前になった現在,これらのサービスにユーザが集まりやすいでしょうから,名もないブログよりも,アクセス数の多いSNSの書き込みをランク上位に優先するような傾向があるのかもしれません.検索サービスの提供側にとっては,検索精度と同じく広告収入も大事でしょうから自明なことともいえます.
 この傾向は,ここ数年でより強まっていると感じています.特に本ブログは,Ameba,Yahoo!ブログなどのようにシステム内で共通のカテゴリでコミュニティを形成していけるようなものではなく,あくまで1つの独立したサイトとして運用されているシステムです.ドメイン名こそ「sakuraweb.com」となっていますがFQDNは独自のものが割当てられています.そのため,記事のアクセス数を増やそうと思うなら,外部のシステムを活用したり,SEO対策をするしかありません.外部のシステムとして,ブログ村なども使っていました.しかし近年は,TwitterとGoogleが直接連携してリアルタイムな結果を表示するなど,大手SNSサイトと検索エンジンの連携が普通になってきています.このスピード感に,従来のWebクロールでインデックス化される情報が太刀打ちできるでしょうか.(本ブログでも投稿時のpingをGoogleなどに送信するようにしていました.しかし,人が集るところにさらにアクセスを集中させた方が,相乗的な効果も働いてビジネス的には収入を得やすいわけです.利用者にとって有益なだけでなく,サービス提供側にとっても利益を最大化できるように検索時のランクが決められていると推察します.)
 この様な背景もあり,本ブログを育てていってもアクセス数を増やすことはできないのではないかと考えるようになりました.これが,10年目を機に更新を終了しようと思ったきっかけの1つです.
 そもそも,このブログの記事を,誰が毎日のように目を通してくれていたでしょうか.私にはその人の存在を想像できません.もしかしたら,1年以上も会っていないような疎遠の友達や後輩が見てくれているかもしれませんが,そのような人たちを含め,毎記事のようにコメントをもらうというようなことは今まで一度もありませんでした.ちなみに,これまで投稿した1189の記事に対するコメントはわずか396です.ほぼ1コメントごとに返信のコメントを投稿していたので396の半分は私のコメントでしょう.つまり,6記事あたり1件のコメントが付く程度だったというわけです.
 誰が見てくれているでもないのにブログの記事を書くという虚しさ.これがブログの更新をやめようと思った2つ目の理由です.でも,きっと誰かが見てくれていて,一人ぐらいは共感してくれる人がいるかもしれないという思いがあったかもしれません.でも,1日10PV程度では,それもあるわけないですよね.
 3つ目の理由は,私自身の気持ちの入れ替えです.それが功を奏するかどうかは,私自身もわかりません.でも,何かを変えないと,何も変わらない気がするんです.気のせいかもしれません.
 そもそも,なぜ変えようとするのかも自分自身でよく理解できていません.理解できていることは,思い描いてきた自分の理想像に対して絶望的であること,目標を見失いつつあるということでしょうか.何に喜びを感じ,何に幸せを感じ,何に生きがいを感じるのか,改めて見つけ出さなければならない,そんな状況だということです.
 もしこの記事を最後まで読んでくれた人がいたら本当に感謝します.読んでも満足感がなく,かえって不快になるような文書に最後まで目を通してくださるようなあなたは,私が想像する以上に人間性にあふれたすばらしい方だと確信します.そんなお方にお会いしてみたい気もしますが,あえてお会いせず,私の想像の中で存在し続けていてほしいと思うのは,私の悪い性格でしょうか.
 皆さんのご活躍をお祈り申し上げます.そして,10年間分の自分にも労いの思いを込めて.

(・・・,なんか,このまま死んでしまいそうな終わり方ですが・・・.)
posted by みっちぃ (管理人) at 22:00| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記

2016年03月26日

Jpeg GPX Merger 1.4.3 をリリースします

 GPX形式のGPS位置情報をJPEGファイルに書きこむツール Jpeg GPX Merger のバージョン1.4.3の日本語版と英語版をリリースします.ファイルを指定するたびにカレントフォルダがリセットされてしまう問題を修正しました.
posted by みっちぃ (管理人) at 23:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2016年03月21日

結局SNSやってない

 今日でTwitterが10周年らしい。結局Twitterもアカウント作っただけで何もやってない。Facebook、mixi、インスタ、Google+も何もやってない。Lineもアカウント持ってない。ブログは含まれないとすれば、SNSは何もやってないことになる。(スラドは老舗の?SNSだけど最期に書き込んだのは10年以上前だ)
 なんでやらないのかって?自分でもよくわからないんだ。やりたいと思えないし、やらなきゃと思えないんだ。人とそうやって繋がっていくことは楽しいことだし、仕事の上でも人脈を広げていくことの大切さはとても大事だってわかっている。分かっているんだけども、そのことから距離を置きたいと思う自分がいる。
 この性格は多分幼い頃からだと思う。だから、よく仲間ハズレにされたり、のけ者にされたりしたのだろう。最初は仲よくしていても次第に距離が開いていく。学校が嫌いだった。教室にいるのが嫌になって、頭が痛くなって、どこか調子悪くなって、よく保健室で寝ていた子だった。
 社会人にってからは、仕事だからと自分に言い聞かせてそれなりに社交的に振舞っているつもりだ。でも、やっぱりダメだったと改めて実感したのは前職場で上司から「社会人として劣っている」とか「お前がいると現場の士気が下がる」などと言われた時だった。努力してきたつもりだったのだがやっぱりダメだった。思わず涙が出た。
 もはや、自分は社会に存在すべきでないのか。そんなことが毎日のように頭をよぎる。異動後の職場では今のところ上手くいっていると思っている。でも、いつかまた歯車が噛み合わなくなり、居場所がなくなるのではないかという不安に襲われるのだ。もしその日が訪れたなら、今度の自分はもう持たないだろう。
posted by みっちぃ (管理人) at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2016年03月13日

理想の研究者像

 自分の理想とする研究者像に近い研究者が何名かいる.いずれも直接的に面識がある研究者ではないが同じ分野にいる研究者なので目標とすべき人たちでもある.
 一昨日,とある学会でそのうちの1人がディレクションを行っているセッションに聴講参加した.その人は自分と1歳違いで,現在は准教授であり,同大内の研究所の所長も務めている.経歴を拝見する限りでは,Aクラス大学で学部から博士の学位取得までストレートで在学し,その後はその母校の教員として教鞭をとり,さらに他大学での非常勤講師や,様々な学会での幹事,標準化組織のメンバーなどとしてご活躍のようである.研究業績も素晴らしく,同氏のサイトを見ると,ご自身の筆頭でも数々の受賞があり,近年は指導している学生が筆頭と思われる業績が並んでいることを確認できる.まさに第一線の研究者と言えるだろう.セッションでは流暢に英語でスピーチをして場を見事にまとめ,盛り上げていた.
 対して自分はというと,〇〇クラスとランクできるようなレベルの大学には入れず,学部卒業後は数年間ソフトウェア開発の現場で働いていた.その後大学院に進学した時は別の大学へは行かず,学部時代の恩師の言葉を信じて母校に戻った.前期後期の博士課程修了後は7年近く母校の教職員として働いていたものの,システム開発の仕事をやっていたので研究者らしい活動ははなかった.1年前に異動となりようやく研究者らしい環境で仕事ができるようになってきたのだが,役職は講師のままだし,研究の成果はこれからという状況である.
 よく知られるように,理工離れ,2018年問題が深刻化している.東京から100キロ圏にある我がキャンパスでも入学者の減少対策が喫緊の課題であり,そのための対策が教員にも求められている.新たなコースの立ち上げ,それに伴うシラバスの改変,新たな教材の作成,それらに関わる打ち合わせの参加(この打ち合わせのやり方が非効率過ぎて腹立たしいのだが)など,研究以外の仕事は多岐にわたる.他大学から移ってきたある教員に言わせれば,一週間当たりの教務の量も研究以外の雑務も,他大学に比べると多めであるという.
 入学者の減少は学生の能力の低下にもなり,その対応も欠かせない.授業後に学生をサポートするための時間をわざわざ作り対応にあたっている授業もある.成績不振の学生と直接面談したり,ご両親に直接お話を伺ったりするなどの対応を行うこともある.さらに悩ましいのは研究活動の充実が難しいことである.卒業研究で配属となる学生は2,3名程度であり,大学院への進学する確率はほぼ0である.よって研究室に内には卒研生の2,3名しかおらず,この状況ではゼミをやっても深い議論にならない.卒業研究の1年間では大きな研究ができるわけもなく,良い研究でも次年度以降に続いていかない.学会発表できるような成果も生まれにくい.
 おそらく前述の研究者の環境では,数名の大学院生と多数の卒業研究生を従え,活発な議論が交わされた中で研究成果が生み出されていることだろう.中には能力の低い学生もいるのかもしれないが,それは研究室のメンバの中で互いに教えあって補っているだろうから,教員が基礎的な内容を直接教えるようなことは皆無に近いはずだ.いや,むしろ実業務にあたっている学生から逆に教わることも多いぐらいではないかと想像する.なんと羨ましい環境だろうか.
 私の今の環境とはまさに雲泥の差と言ってよいだろう.今後5年間の将来を考えた時,この状況が改善するだろうか.2018年問題が本格化するのはこれからだし,東京西部の地域でさえ高齢化が進み,今や都心回帰の傾向が益々加速化している状況である.もはや悲観的に考えるべきであろう.
 今後,自分が理想とする研究者像に近づくためにはどうしたら良いのだろうか.もっとも可能性がある道は目覚ましい成果を上げて他学に移ることだろうか.しかし,その為の研究成果を上げられるような環境にないことは前述の通りだ.自分が入学生の増加対策や学生の学力の向上に翻弄されている間に,一流の学生を集め,一流の研究を当たり前のように進めている研究者がいるわけである.研究成果の差が指数関数的に開いていくのは火を見るよりも明らかである.
 せめてもっと早いうちに今の環境に異動出来れば状況が違ったかもしれない.異動前の7年間が非常に悔やまれる.学位取得後直後から今の環境に配属されていれば学生の数も比較的多かったし,まだ若手として身動きがしやすかったと思う.そもそも,大学院,いや,大学への進学の時点で選択を誤っていたのだろう.一流の研究を行える研究者になるためには,やはり一流の大学に入るべきなのだ.そうしなければ一流の仲間にも恵まれないし,一流の研究環境に身を置くことはできないのである.
 もはや絶望というべきだろう.この絶望を感じながら今後も仕事を進めていくことになると思うと,すべてを投げ出したい気持ちになってくるのである.
posted by みっちぃ (管理人) at 19:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記